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フランス・ななめ見聞録 & La Prose oblique du Japon
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DATE: 2016/08/15(月)   CATEGORY: 美術館 le musee
今さらながら、ピナコテックParis閉館について
私立の美術館「ピナコテック ド パリ  La Pinacothèque de Paris」は、2016年2月12日に閉館を発表し、その3日後、2月15日、2003年から続いた短くも濃密な歴史に幕を降ろした(※マドレーヌ広場前に進出したのは2007年)。
マドレーヌ広場という一等地に面し、挑戦的な企画を打ち立ててきたピナコテックの突然の閉館は、驚きをもって迎え入れられた。

とはいえ、経営難であることは専らのうわさだった。

来場者数の減少と、超高額の賃貸料(総面積5,000平米の2館に対して、月々30万ユーロ(=約3400万円))に押しつぶされ、ピナコテックを経営するアール・エリタージュ・フランス社 Art Héritage Franceは、昨年11月3日に会社更生法の適用下に入った。

フランスの経済状況の悪化の煽りで、パリの他の美術館施設と同じように、ピナコテックもまた打撃を受け続けた。
2003年オープン当時から話題になり、企画展毎に賑わいを見せたが、過去2年、来館者は20~25%減。
さらに、11月13日、パリで起こったテロの影響が致命的となった。テロ後の来館者数は、マイナス80%まで落ち込んだ。


創立者で美術史家でもあるマルク・レステリニ氏は、「ポロックとシャーマニスム展」や「ヴァンゴッホと広重展」などの成功、13年間の歴史には自信を見せる。

だが、私立の美術館でありながら公レベルのサービスを提供し続けたことで、経営は苦しいものだった。公の施設では、チケット販売にかかる10%の納税が不要だったり、賃貸料が無かったり、国が保証する作品への保証金が不要だったり、ということで、民間が同等に競争するには壁が厚く、不公平との見方がある。


ピナコテックの閉館は、「ピナコテックの歴史の終焉」ではないとレステリニ氏。向こう3~4年内に、現代美術スペース、また、彫刻と造形美術スペースをそれぞれ、パリの「もっと経済的に耐えうる場所」にオープンさせたいらしい。個人貸し出しから構成されるピナコテックの”所蔵作品”は、まだ見ぬこの未来のスペースと、さらに2015年5月にそのファースト・アンテナがオープンした、シンガポール館へ分配。氏は海外への進出、特にアジア、近東での展開に意欲を見せている。


ところが、このシンガポール分館、なんと2016年4月に閉館。

来館者数が振るわず経営失敗、と表向きには報道されたが、その裏では、アール・エリタージュ・フランス社 Art Héritage France は、経済的な問題を抱えていて、社の大株主のひとりであるイヴ・ブーヴィエ氏の「司法上のトラブル」とも関係があるとされている。
ジュネーヴ、リュクサンブール、そしてシンガポールを跨ぐ貿易商で実業家、美術商でもある、スイス人のブーヴィエ氏は、とあるロシア人実業家の大富豪から、美術品取引時の横領のかどで起訴された。その額は数百万ユーロだとか。そして2015年2月、氏は手錠をかけられてしまった。アール・エリタージュ・フランス社は大株主を失い、未払いの請求書が増えていくことになる。2014年にパリとシンガポールで開催されたエクスポジション「クレオパトラ伝説」のオーガナイザーからは、43万5000ユーロ(=約4900万円)の支払いを、また、デジタルコンテンツ製作会社からは11万ドル(=約1100万円)が求められている。

ピナコテック・シンガポールには、創設者のレステリーニ氏、先述のブーヴィエ氏の他に、ダイヤモンド商のアラン・ヴァンデンボア氏、現地の不動産企業が株主となっていた。この二者も手を引き、ピナコテック・シンガポールは98万ユーロ(=約1億1000万円)の赤字に達し、2016年4月の段階では、ピナコテックサイドの経営破綻により不払いのままになる状況が懸念されている。



私立美術館ピナコテック ド パリの挑戦的な企画姿勢は、時にその構成が裏目に出て客足を遠のかせることにもなった。例えば「<叫び>の無いムンク展」にはタイトル通り、作品<叫び>は無かった。それが狙いのエクスポジションではあったが、こういった斬新な方向性に反発する客層もあったのだろう。ワタシも幾つかは訪れたが、もちろん良いモノも、イマイチなのもあった。ただし事の本質は、アート市場の裏事情やフランス経済、旅行業界への打撃等、諸々の負の要素が積み重なったことだった。




Bibliographie:

■Le Monde
2016.2/13 (Emmanuelle Jardonnet)
2016.4/14 (Roxana Azimi)
■Connaissance des Arts
2016.4/12 (Maximilien Renard)
■Telerama
2016.4/11 (Sophie Cachon)


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このブログ内、ピナコテックのエクスポジション

終了展、ムンクの反・叫び
http://rimaik.blog93.fc2.com/blog-entry-549.html

パリでみるオランダ絵画~レンブラントからフェルメールまで~
http://rimaik.blog93.fc2.com/blog-entry-471.html








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DATE: 2011/12/02(金)   CATEGORY: 美術館 le musee
パリ・ヨーロッパ写真館。William Klein、Martine Franck...
久しぶりにヨーロッパ写真美術館に行く。
常に複数のエクスポジションが開催されているが、今現在は、ウィリアム・クライン(William Klein 1928~)1956~60年の「Rome + Klein」、マルティーヌ・フランク(Martine Franck ベルギー 1938~)の「Venus d'ailleurs」、それから、アルバニアの写真史を辿った珍しい企画、ブラジルの写真家3人による企画、などというラインナップ。


ウィリアム・クラインはニューヨーク生まれの写真家、画家、フィルムメーカー。”バッド・ボーイ”と称されることがあるそうな。パリが活動の中心。1948年からの、<ニューヨーク> <ローマ> <モスクワ> <トーキョー>、そして <パリ>のフォトシリーズが有名で、多様な文化が入り乱れるコスモポリタンを記録に収めて、多くのフォトグラファー、モード界、アーティスト達に影響を与えた。

5.jpg




マルティーヌ・フランクはアンリ=カルティエ・ブレッソンの妻であった。フォンダシオン カルティエ・ブレッソン → http://www.henricartierbresson.org/index.htm の代表。1983年からマグナムフォトのメンバー。
1965年より始めたアーティストのポートレイトシリーズ。アーティスト達は、1945年以降パリに「よそからやって来た(=Venus d'ailleurs)」そして居着いた画家や彫刻家。モダンアート界、コンテンポラリーアート界の一大記録フォトとなっている。その顔ぶれってのが「ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky から ザオ・ウーキー Zao Wou-ki まで」というような表現をとられているが、巨匠から若手までっていう意味ではなく、何れも巨匠!

ピエール・アレシンスキーは1927年ベルギー生まれだし、ザオ・ウーキーは1921年中国生まれなんだがとにかく。世界のあっちからこっちまでインターナショナル in Parisってことですかね。

ちなみにピエール・アレシンスキーは「コブラ」って芸術運動に参加しているが、「CoBrA」は1948年に結成された、コペンハーゲン(Co)、ブリュッセル(Br)、アムステルダム(A)のアーティスト集団による運動。挑発的で攻撃的で前衛的なアートを目指すものだった。アレシンスキーはこの運動の後にパリへやって来る。50年代には日本へもやって来ていて、書道を作品の中へ取り込んでいく。彼の作品は何だかポップで楽しい!



ま、この人は今回のエクスポジション全体の集約ってわけじゃないんですが。



ブラジリアンフォトグラファーによる企画では、弁当シリーズをついつい、弁当国家のニッポンジンはジ~ッと見てしまうんじゃないだろか。
「過酷な労働者のガストロノミー」とは、ひとつの弁当箱。
それは建築現場の労働者達のランチボックスであって、間違っても日本のチャラチャラしたカラフルな「毎日のカワイイお弁当」なんて類のウザイもんではない。

※チャラい弁当に恨みは無いが、ムダな労力だとも思ってしまう。しかも、日本の弁当箱っておっそろしく小さくて(子ども用じゃないのに。)、そんなもんで午後の仕事ができるかバカヤロー!と叫びたくなるよ。

※日本の「Bento」文化がパリにも渡ってきていて、日本の弁当箱が売られるようになってきてるので、それを見て言ってる。時に明らかに「重箱」(しかも塗りの)を探してるパリッ子もいて、おまえさん、ピクニックに持って行きたいのか??と思ってますが。


さて、サンパウロの建築現場のランチは、アルミの容器に
米!
豆!

米がまずは炭水化物として多く君臨、そして、

焼き鳥!
豚肉!
スパゲッティミートソース!(+米です。)
かぼちゃの煮っころがし!(なんか懐かしいね!)

といった具合に「ドカン!」色が超濃いもので、ま、シンプルであります。弁当から社会が見える。
イヤ、ほんとに。

4.jpg





ということで、いつも色んな発見のできるフォトグラフィーミュゼ、時間があったらもう一回、同じの見とく。
水曜17時以降は無料で入れるだすよ!
すみずみまで見てネ~。



ヨーロッパ写真館については時々書いてますが、

MAISON EUROPEENNE DE LA PHOTOGRAPHIE

http://www.mep-fr.org/

現在のプログラム
http://www.mep-fr.org/expo_1.htm


5 / 7 rue de Fourcy 75004
01 44 78 75 00
月・火曜日と祝日休館
11h~20h
一般7ユーロ(水曜日の17h以降は入場無料)
メトロ:サン・ポール


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DATE: 2011/06/15(水)   CATEGORY: 美術館 le musee
スキャンダルなマネ。オルセー美術館マネ展
19世紀フランス絵画史において最重要人物のひとりとされる、マネ(1832~1883年)。

印象派の中に含まれる場合があるが、厳密に言うとそういうことではない。事実、マネは印象派のサロンには一度も参加しておらず、後に印象派の中核となる後輩画家達、とりわけ、モネ、ルノワール、弟の妻となるベルト・モリゾらとは親しく、彼らから柔軟に影響も受け、アルジャントゥイユやジュヌヴィリエで屋外制作もしていたが、そもそも印象派とは異なる表現を追究し、独自の路線を保っていた。目新しい色彩技法や、光の表現にも特別な効果をほとんど使わない <現実> 表現の仕上がりに抜きん出ており、それまでの伝統的な描き方を打ち破る自由な筆致や、いち早くジャポニスムを受容したりといった挑戦的な姿勢が、印象派を担う画家達から礼賛され、それ以降の美術史に大きな影響を与えたと言われる所以。

マネ作品はしばしば、スキャンダルとなった。

マネの代表作のひとつ「オランピア」(1863年作)

ManetOlympia.jpg


イタリアの巨匠ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」(1538年作)から影響を受けた構図の作品。

ManetVenusUrbinoTitien.jpg



裸婦像は、同時代のブグロー(Bouguereau 1825~1905年)のようなアカデミックなスター画家の描くものが芸術として認められていた頃。裸婦は宗教、神話、歴史的な要素を帯び、理想的に美化されて描かれることでのみ、崇高なモチーフとなり初めて絶賛の対象となっていた。





「オランピア」は、そこに横たわる女性は、女神でもニンフでもなく、生身の人間の裸体であり、挑発的な眼差しでこちらを見つめるオランピアは <現実にいる女の姿> で、エロティシズム感、満載。現に、裸体に残る宝飾品とサンダルが生々しさを増し、一足先に花束を贈ってきた客を今から迎えようとしているような情景はリアル。それは、当時オランピアという名前が娼婦に多かったため、社会背景を反映したこのような想像が容易かったこともある。
召使いとして描かれた黒人の女性は、神話などとは遠いイメージを醸し、やはりとても日常感を増す。
女性の足元に描かれた黒猫は女の気まぐれな心理か、男性のシンボルかー。少なくとも「ウルビーノのヴィーナス」の足元に丸まっている犬が忠誠を表すとすれば、真逆に捉えられるかもしれない。猫のしっぽは、左右反転「?」マークのようにも見え、この絵の解釈を掻き乱すべくクリッと描かれたように思える。

どこを切り取ってもスキャンダラスである故に、絵画アカデミー界は驚愕してしまった。
が、この作品は「近代美術の創始者」と本展のタイトルにもあるように、近代絵画史への幕開けともなる位置付けの重要な一枚となった。本作のすぐ横には、「オランピア」を描く前年~数年内の、油彩画「黒人の女」や、淡彩の習作「猫のいる女性像」など関連作品も掲げられている。


44歳頃から梅毒とリュウマチに苦しみ始め、左足は後に切断、壊疽により51歳と早くに没したマネ。400枚以上の油彩、水彩、パステル、エスキースなどを残し、今はパリのパッシー墓地に眠っている。

実際、オルセー美術館所蔵のマネ作品は多いが、マネと周辺を取り巻いた人物や社会との関係、有名な作品背景をまとめた展覧会構成が興味を惹く。常設展示室にもマネ作品はありまーす。



Manet, inventeur du Moderne
マネ、近代美術の創始者


4月5日~7月3日(延長決定。これより延びます)


Manet3.jpg

オルセー美術館
入口:1, rue de la Légion d'Honneur 75007 Paris
http://www.musee-orsay.fr/

開館時間:9h30~18h(木曜は21h45まで)
※モネ展は、土曜は20hまで。
休館:月曜
マネ展への入場料:一般10ユーロ(常設展、他特別展への入場可)


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DATE: 2011/02/07(月)   CATEGORY: 美術館 le musee
マイヨール美術館 メディチ家の財宝展ななめ見
さて、書き忘れてた「Trésors des Médicis メディチ家の財宝」展。

mdc4.jpg


メディチ家ってイタリア。
でもとにかくヨーロッパ全土を牛耳った、貪欲な、イヤイヤ、、、貪欲な(やっぱり。。)富豪ファミリー。事実、銀行業なだけあって欧州のフトコロを握っていたと言える。美術、文学、学問多岐を支援したメセナっぷりも半端なく、その財宝の一部が今回、展示されている。

この家系、歴史も数世紀にわたり長すぎて、勉強し始めると終わらないこと請け合い。ワタシは“家系図好き”だが、サザエさん家ほど単純じゃなくて、すんごい、これまたすんごい、複雑で大混乱。ヨーロッパ中のロイヤルファミリーにどんどん嫁いで、そう、家系図にはどこ国の○○何世ってロイヤルな人物がわんさか出てくるんで、欧州は完全にイタリア化したと言ってもいいのではないか。ヨーロッパの歴史や、ことに先祖を辿る場合、王族の末裔さんたちはイタリアの血をメディチジェネレーションからひいている確率が低くないんではなかろうか。

なお、よく知れた大御所、メディチ家のカトリーヌとマリーは遠戚に当たる。家系図では何だかエラい遠くて、別時代の人のような感じするけど、

カトリーヌ Catherine:1519~1589年
マリー Marie:1575~1642年

ということで、被っている。

ちなみに、

カトリーヌ・ド・メディチ
●フランス王アンリ2世Henri IIの王妃
●フランス王フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世の母(ヴァロワ朝最後の3人の王の母)
特記:
チュイルリー宮建造を命ず。ミケランジェロと親交。自邸に700枚以上の絵画、肖像画をコレクション。驚愕の摂政っぷりは、1572年、サン・バルテルミーの大虐殺(プロテスタントの大量虐殺)で悪名度アップ。

mdc2.jpg


マリー・ド・メディチ
●フランス国王アンリ4世Henri IVの2番目の王妃
●ルイ13世の母
特記:
ルーベンスに描かせた「マリー・ド・メディチの生涯」。24枚からなる絵画の連作。サイズがデカく、ルーヴル美術館の1室に展示されている。誕生、婚姻、王妃な生活などが神々しく表現され、作品は見事だが、ナルシスト感満載な完全なる自分史。





エクスポジションはこの2人の王后がメインではない。
が、フランス史上においても重要な人物であったことは間違いないんで、小さな1部屋に2人の肖像画が掛かっている。



なお、最近のエクスポジションには「子ども取り込め!」な動きがよく見える。子ども対象のガイドツアーがあったり、今回のエクスポジションにも「メディチ・クイズ」なんぞがあり、「エレオノール姫の指にはめられている指輪はど~れ?」なんて、カラフルな絵付きのブックレットとか刷られていて。で、回答を出口で投函しておくとプレゼント貰えたり・・・ま、これ<報酬>が無いと、子どももつきあってらんないのかね。。。

ちなみにエレオノール姫ってのは、本展覧会のポスターにもなっている人物。

mdc3.jpg ブロンズィーノ作


スペイン貴族アラゴン家の一員、ナポリのトレド副王の娘で、フィレンツェ公(後のトスカーナ大公)コジモ1世妃エレオノール・ド・トレド(1522~1562)。イタリア半島で最も権力のあったトレド副王の娘ということで、スペインとメディチ家双方に都合の良かった候補生エレオノール。政略的婚姻だったと言える(この時代の貴族はどこもそうだがー)。
カトリーヌの従姉妹にあたるー。コジモ1世がカトリーヌの従兄弟の子にあたる・・もう何が何だかわかりませんな。

結婚の10年後、夫妻はピッティ宮に居住。
エレオノールはメセナ活動に積極的で、ブロンズィーノやポントルモといった芸術家たちを後援し、メディチの絵画コレクションをドーンと豊かにした。珍しい宝飾をコレクションするのも好きだったようで。財ある者なればこその活動!
また、内向的で浮き沈みが激しく、不安定な情緒の持ち主だったダンナのコジモ1世を、なだめ、操れたのは彼女だけだったという話もあり、いろんな意味で大きな影響力を持った人だった。
肺疾患により、療養のために移り住んだピサで逝去。


フラ・アンジェリコ、ボッチチェリ、ミケランジェロなどの作品を始め、ベニスやフィレンツェ、ミラノのマニュファクチャー、カトリーヌがギーズ公に宛てた書簡の肉筆など、細部にわたってみどころ満載のエクスポジションだった。


2月13日まで(まだ行けるよ!)
(1月31日までだったのが延長)


MUSEE MAILLOL
 FONDATION DINA VIERNY
マイヨール美術館

61 rue de Grenelle 75007 Paris
Tel 01 12 22 59 58
Fax 01 42 84 14 44
サイト:http://www.museemaillol.com/

※会期中毎日開館
10h30~19h(金曜は21h30まで)
特別展:一般11ユーロ、割引9ユーロ  ※11歳以下無料

museemaillol122_1.jpg

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DATE: 2010/08/13(金)   CATEGORY: 美術館 le musee
終了展、ムンクの反・叫び
いつも注目度の高いエクスポジションを開催するピナコテック・パリでムンク展、とはいえ、「叫び」に至る過程や周辺ストーリーを追いかけた「”アンチ”叫び」展が先日終了。
もともと7月18日まで予定だったのが、8月頭まで延期となっていた人気展。


munch4madona.jpg
<マドンナ> ムンク美術館(オスロ)

ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863~1944)。

表現主義の先駆者的位置付けとされ、油彩、木版、リトグラフ、デッサン等、4000点余の作品を残した。
本展では同じ構図で複数枚が存在するリトグラフ作品『マドンナ』をはじめ、ノルウェーの牧歌的風景や、フランスで生活した頃を色どり豊かに描いた油彩や木版画、デッサンなど、一般的な“いわゆるムンク”らしからぬ作品が多く、ムンク再発見といえたかもしれない。170点の作品が集められ、そのほとんどが個人所蔵のものであったことも注目すべき点。

あまりにインパクトの強い「叫び」で知られるムンク。
今回は、あえて『叫び』を外したムンク展として、違った角度からアーティストの心の裏側を感じることができたかも。


munch100425_2.jpg

Edvard Munch ou l'Ant-Cri
2010年 2月19日~7月18日(延長)
Pinacothèque de Paris ピナコテーク・ド・パリ
パリ絵画館
http://www.pinacotheque.com/fr/accueil.html ※次はインカの黄金


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