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フランス・ななめ見聞録 & La Prose oblique du Japon
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DATE: 2018/05/13(日)   CATEGORY: アート l'art
オルセー美術館とポンピドーセンター比較 その8



この計画はまずジョルジュ・ポンピドーによって受諾される。
その後1977年、オルセー美術館計画はジスカール=デスタン大統領の折りに閣議決定された。

翌年コンペが行われ、国は、3人の若き建築家グループのACT-Architectureというチームに計画遂行を託す。プロジェクトは、ヴィクトール・ラルー建築をリスペクトしつつ、美術館の新しい役割を存分に担保することを目標とした。

大側廊スペースに沿わせて展示室を確保する計画が立てられる。
そうすることで中央スペースの両傍に有効な空間をキープしながら、旧駅舎のクーポールを生かした展示室の設置を可能にすることを目指した。エントランスのガラス庇部分は、美術館中央入り口に変身。天井と屋根の間部分は長く整えられたギャラリーになり、駅待合部分は通路になった。

一方、ルイ14世、15世、16世スタイルをごっちゃり折衷した装飾様式の、ヴィクトール・ラルーのメタルの支柱と梁は、そのまま保存され、補強修復された。

かつてオルセー駅は2年かけて建てられたが、美術館構想と実現には約10年という歳月を要した。


ちなみにオルセー駅の前身、オルセー宮は1871年パリ・コミューン時の火災で廃墟と化し、以降30年にわたりこの惨劇を伝える場所となっていた。




オルセー美術館とポンピドーセンター比較 その1 〜
http://rimaik.blog93.fc2.com/blog-entry-680.html





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DATE: 2018/05/10(木)   CATEGORY: アート l'art
オルセー美術館とポンピドーセンター比較 その7


1960年代になるとオルセー駅舎の建物取り壊し論が出てくる。

SNCF(フランス国鉄)はあろうことか高級ホテルの新設プロジェクト案を打ち立てるが、
1970年、ジョルジュ・ポンピドー政権の文化大臣、ジャック・デュアメルがこれをバッサリ却下。
1973年、オルセー駅は歴史建造物保護指定目録にノミネートされ、1978年に登録された。
建物の保存は決定され、はて、では中に何を入れましょうね?という流れができた。

この流れに乗り、フランス美術館運営機構が、19世紀後半から20世紀初頭のコレクションに特化した美術館を提案する。

ルーヴルがカバーする期間と、国立現代美術館(ポンピドーセンター)がカバーするアバンギャルド期の間を埋める場の設立。

パリの都市計画と美術館計画が具体的にきちんと整理され始めた。



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DATE: 2018/05/03(木)   CATEGORY: アート l'art
オルセー美術館とポンピドーセンター比較 その6


一方のオルセー美術館。


オルセー駅は1900年7月14日、万博の折りにオープンした。建築家ヴィクトール・ラルーは、駅のメタリックな構造部を石造りのファサードで包むようにして、折衷スタイルを施した。ファサードにはふたつの大時計パビヨンに挟まれた7つのアーケードがあり、駅舎は、ホームに続いていく車寄せ部分、エントランス、40mのホールで構成されていて、全体は高さの違うふたつの身廊から成るひとつの大きな空間となっている。


1939年以降、駅としての機能を失い、戦時中は捕虜への荷物発送センターとして使われたり、フランス解放の際(第二次大戦ドイツ占領からの)には捕虜収容に充てられたりもした。また、映画の撮影に使われることもあったし、権威あるオークションハウス、オテル・ドゥルオーの再築の間に、競売が行われたりもした。





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DATE: 2018/04/29(日)   CATEGORY: アート l'art
オルセー美術館とポンピドーセンター比較 その5

パリのど真ん中に現れたモダン「すぎる」外観に対する保守層の批判にさらされながらも、二十世紀建築の代表となったポンピドーセンター。

建設は1972年に着工、ガラスと鉄鋼の上部構造は10か月で出来上がった。
が、センターの落成はそれから5年もたった1977年、ヴァレリー・ジスカール=デスタン大統領の時。

センターは当初、以下の3つを束ねる複合施設だった:
国立現代美術館(MNAM)、
インダストリアル・クリエーションセンター(CCI)、
これらの独立管理機構で公的機関の公立情報図書館(BPI)。

その後4つめ、独立機構の音響音楽研究所(IRCAM)が加わり、ボーブールのポンピドーセンターを形成することとなった。


この中核を担うのが国立現代美術館(MNAM)。

所蔵作品は20世紀・21世紀の造形芸術、デッサン、写真、ニューメディア、実験映像、建築、デザイン、インダストリアル、と多岐にわたる。1973年には「1905年」がコレクションのスタートと認定された。フォービスムから今日まで(基本的には1870年以降にうまれたアーティスト)という認識になっていて、オルセー美術館のコレクション範囲の続きを背負うものとなっている。所蔵数は15000作品(2013年に99000)、17000平米に800作品が展示される。建築の特性である、配管類が建物の外に設置されたことで、内部にはニュートラルでフレキシブルな巨大空間を確保できた。定期的にこの空間演出を変えながら展示が行われるのが、センターの醍醐味。

竣工から5年後の1982年、イタリア人建築家ガエ・オレンティによって大々的な改装が行われた。彼女の改革により、自由で可変な空間に、伝統的な博物館学テイストを盛り込むこととなった。



ということで、
ポンピドーセンターというのは特殊性を持って戦略的に計画されたものだということがわかる。
ジョルジュ・ポンピドー大統領の悲願であり「社会とコンテンポラリーアート界の橋渡し役を担うプラットフォーム計画」のビジョンがまっすぐに反映され、広くフランス人パブリックに親しまれる場所となった。




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DATE: 2018/04/26(木)   CATEGORY: アート l'art
オルセー美術館とポンピドーセンター比較 その4

この建築プロジェクトの特性のひとつは、「技術」と「機能」を「全面に押し出すこと」。
建物の機能を建築の技術そのものにドーッと流し込むことが求められた。

ということで、本当に、配管、ダクトの類がまるで装飾のように建物の外観を覆うこととなった。

レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースは、それぞれの配管の機能によって色分けを施す。
赤は作品と人の動線、黄色は電気系統、緑は水、青は通気、というように。


ふたりの建築家にとってこれは「遊び」であって、挑発なのであったが、それよりもまずは新建築ジャンルに新風を送り込りこむぞという思惑が根底にあった。大胆不敵なこの建物は「ハイテク建築」とも称されるムーブメントの代表格となった。






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